今のスタイルで活動することになった理由やきっかけは?
- 野毛
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中学校はバスケ、高校、大学は陸上。卒業後、陸上の実業団で徳島に。その後、大学に戻って2年間事務の仕事をしました。その時にラグビーを始めたんです。初めての代表合宿の時に横山さんと出会いました。
- 横山
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野毛さんは、すぐ日本代表になりましたよね。
- 平田
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す、すごいですね。20歳くらいから始めて日本代表??
- 野毛
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24歳の時です。日本代表になり、もっとラグビーに専念できるように大学側が色々と考慮してくれました。事務仕事からラグビー部のマネージャーになり、合宿や遠征にもどんどん行くことが出来ました。本当に感謝しています。しかし、もっと女子でチーム練習をして更に上を目指したいと思い、横浜の女子ラグビーチームに移りました。
その後ラグビーは引退して実家に戻り農業を手伝っていました。その時、静岡に女子のラグビーチームができることを聞き、いろんなご縁があってアザレアへ。初めは選手としてスタートしましたが、チームの土台作りしたいと思うようになって今はチームのコーディネーターをしています。 平日は実家からリモートで仕事をして、週末は泊まりでエコパに来て練習に参加する選手のサポート等をしています。
- 横山
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私は両親がラグビー好きで、小学校2年生からラグビースクールに入り、高校、大学、社会人になってからもずっと神奈川でラグビーを続けてきました。野毛さんと一緒のチームでやらせていただいたり、ちょっと代表に呼んでいただいたり。
- 野毛
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ちょっと代表にって言うけど、ちょっとのレベルじゃないよ。セブンスも15人制もどちらも日本代表なんて。
- 横山
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いえいえ(照)…病院が運営しているラグビーチームに就職して、最初は医療事務をやりながら練習も残業もするハードスケジュール。ちょっと一瞬プッツリと・・疲れてしまって、一回退職をしました。
その後、地元の女子サッカーチームで事務と広告、宣伝関連の仕事をやらせていただきました。一緒にプレーしていた人がコーチになるタイミングで誘いをもらってチームに戻り、広報の仕事と選手を両立していました。2020年3月に、この先続けていく仕事として迷うようになり退部退職しました。就職活動と並行してラグビーを続けるかもと考えている時に、アザレアの練習も見学してみようかなと思い野毛さんに連絡をとったらすごく熱心に誘ってくれました。
環境も良くコーチ陣もしっかりしていて、すごくいいチームだなと感じ移籍してきました。コロナの影響もあって就活も難しく求職中なんですけど…。広報関連に興味がありつつもコーチの資格も取りましたし、プレイヤー目線で自分が持った知識を伝えていくということも意識してやってきたので、これからそういう道もあるかなと考えています。
- 冨樫
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今里菜子さんは、キャプテンとは別のヘルムメンバー(舵取り役)としてチームを引っ張ってくれています。
- 野毛
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教え方も上手なので、みんな聞きに来るんですよね。優しいお姉さんって感じなので、高校卒業したばかりの選手たちは「里菜子さーん」「聞いて聞いて」みたいな感じです。
- 冨樫
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私は、アザレア・スポーツクラブの広報と渉外を担当しています。御社には素敵なwebサイトを作っていただきいつも感謝しています。中学、高校は吹奏楽部でパーカッション(打楽器)を担当していました。父がラグビーをやっていた影響でスポーツをやりたい思いがあり、大学からラグビーを始めました。大学4年間ラグビー部に所属しつつ、世田谷ラグビースクールの中にある女子チーム「世田谷レディース」に入りました。4年間ラグビーをやり切ったわけではなかったのですが、 映像・広告関係の仕事がしたいなと思い映像制作会社に入りました。ただ、メディア関係のお仕事なのでハードでした。ずっと続けていくのには…と思うようになったことと、ラグビーをやり切っていないという思いも強くなり、アザレア・セブンの立ち上げ時に開催されたトライアウトを受けて静岡へ、今は仕事とラグビーを両立しています。
- 平田
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立ち上げ時にアザレア・スポーツクラブ様のお手伝いをさせていただいていて、トライアウト後に関係者の方々が「すごいいい人材が入りそう」っておっしゃってました。丁寧で熱いメールをもらったよって胸打たれてましたよ。冨樫さんですよね?
- 冨樫
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はい。長文メールを送っちゃいました。代表理事の清宮さんからもお返事をいただいて、新しいスタートを切ろうと決心しました。ラグビーも自分にも自信がなかったので、ここで力をつけたいなと今動いているところです。1年間だけでしたが、前職の皆さんには本当にお世話になったと感じています。1年目で叩き込まれていなかったら、今やっている仕事はできないです。これから仕事ももっとスキルアップしていきたいと思っています。