
こんにちは。パン職人であり、ライターの中村ことはです。
パンには、焼きたての香りだけではなく、土地の記憶や季節の気配、人の手しごとが静かに宿っています。
そして、そんな背景を知るだけで同じパンでも味わい方がふっと変わる。
パン好きなら、一度は感じたことがあるかもしれません。
そんな“パンの奥行き”を、浜松在住のパン職人×ライターの私が、毎月そっとお届けする連載コラム。
読み終わったら思わずパン屋さんへ寄り道したくなる──そんな世界へご案内します。
日本のパンの始まりが、静岡にあった
それを知ったとき、思わず「へ?」と声が出てしまいました。
横浜でも神戸でもなく、静岡。
それも、伊豆。
日本のパンの始まりが、こんなに身近な場所にあったなんて。
パンは外国から伝わったもの。
そのあと日本にパンが広まるまでには「最初にパンを焼いた人」がいたはずなのに、考えたことがありませんでした。少し恥ずかしい気持ちもありましたが、今からでも知りたいと思ったんです。
日本人のために焼かれた、日本で最初のパンが生まれた場所、伊豆。
今回は、私の中でずっと気になり続けている「始まりの場所」をたどってみたいと思います。
日本で最初に焼かれたパンを想像してみる

日本初のパンが焼かれた場所は、伊豆の国市・韮山。そう、世界遺産「明治日本の産業革命遺産」に登録されている、あの韮山反射炉がある場所です。その韮山反射炉の築造に携わった、江川太郎左衛門英龍公が日本で初めて国産のパンを焼いた人物とされています。
なんと、自宅にパン用の竃まで作ったそう。
毎日専用のオーブンを使ってパンを焼いている身としては、その熱量の高さに頭が下がります。
では、その気になるパンはというと…
今のようにふわふわした柔らかさはなく、乾パンに近いものだったと言います。
けれど、硬さひとつとっても、人によって思い浮かべる感覚はきっと違うはずです。
一体どんな味で、どんな香りがしたのか。
「実際に食べてみたい」という気持ちがふつふつと湧き上がってきました。
この日本最初のパン、なんと今でも手に取って味わえるんです。
最初のパンが焼かれた場所に立ってみたい

日本初のパンは、「パン祖のパン」として今も手に取ることができます。レシピに忠実に再現しているお土産だと知って、味はもちろん香りや食感など、五感をフルに使って確かめたくなりました。
けれど、私がさらに気になっているのは、英龍公の自宅「江川邸」。国指定重要文化財に指定されており、日本初のパンのレシピも保管されている場所です。
当時使われていた竈も、そのまま残されています。英龍公が日本で初めてパンを焼いたとされる1842年4月12日にちなみ、毎年4月12日のパンの日には邸内の竈で焼かれるのだとか。
当時の人にとって、パンは見たことも聞いたこともない未知の存在だったはずです。
きっと、何もかもが手探りだったのではないでしょうか。
今よりずっと設備が整っていない状況で、どうやってパンを作り、焼いたのか。
実際に火が入った竈の前に立って、最初のパンが焼かれた空気を感じたい。
情報として知るだけではなく、自分の目で見て確かめてみたい。
しかも、今では竈に火が入るのは、年間を通してもほんのわずかです。
限られた日にだけ火が灯ると知って、その瞬間に立ち会ってみたい気持ちが強くなりました。
毎年4月12日が近づくたびに、私の意識はすでに伊豆の国市にまで飛んでいるんです。
パンからたどる、はじまりの物語

ポルトガル人によって日本に伝えられたパン。昔、歴史の授業で学んだおぼろげな記憶がよみがえりました。
けれど、その後どう広まり、どう作られてきたのかまでは、あまり意識したことがなかったように思います。
おいしいけれど硬いという、日本で初めて焼かれたパン。
パンを焼くために作られたという江川邸の竈。
今も大切にされているというレシピ。
残念ながら2026年のパンの日に、訪問はできませんでした。
同じ静岡県内だからこそ、いつでも行けると思ってしまっていたのかもしれません。
パンを目的に旅をするのは、少し贅沢な気もします。
でも、どこか私らしいとも感じているんです。
そんな自分に苦笑いをしながら、日本で最初にパンが焼かれた場所に立つ日を静かに思い描いています。
中村ことは(パン職人/ライター)

2008年、東海調理製菓専門学校を卒業後、大手ベーカリーに入社。関東の個人店へ転職し責任者を務めるも「パンが主食の国で生活したい」という夢を追い、2019年フランスへ。留学中にコロナ禍となり帰国。再び関東のベーカリーへ就職するが、仕事中のぎっくり腰をきっかけにライター業をスタート。2022年浜松へUターンし、現在は市内のパン屋さんで働きながらフリーライターとしても活動している。“2足のわらじ”で、自分にとってのワクワクする働き方を模索中。
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